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千の風になった?

皆様、大変お久しぶりでございます。
お久しぶりなのに、哀しいご報告をしなくてはなりません。
おまけに超ロングです。
私たちの大切な日記ですので、しっかりと記録しておきたいと思いますが、
どうぞ遠慮なくスルーしちゃってくださいね。


ムサシママの大切で親愛なる父、ムサシくんの大好きなグランパが、
8月4日午前1時20分、永眠致しました...享年71歳です。
8月5日通夜 ・ 6日葬儀告別式を、父の人柄と人脈でしょうか、
本当に大勢の方に見送って頂き、無事に終えることができました事を、
ここにご報告しておきたいと思います。
人が亡くなったら、一週間おきに七人の仏様がバトンタッチしながら横道にそれないよう、
空の世界に導いてくださるそうですね。
四十九日までその為の修行をするそうです。
9月15日、四十九日法要を終え、修行に励んでいた(?)父は
無事に三途の川を渡って行けたのかどうか、ちょっぴり心配な家族です(苦笑)
一日一日順位の変動する大混戦のセ・リーグですから、西へ東へとタイガースの応援に忙しく修行する時間が無かったのでは?と。


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いつかはこの時を迎えるのだろうと覚悟はありましたが、
正直予想より早かったので、私たち家族も (ドクターも?) 故人も想定外のこと。
入退院を繰り返しながら療養中だった父の容態が急変したのは、6月はじめのこと。
慌てて父の元に向かった私の心臓はバクバクもので...

そんな?まさか?!一週間前に元気な声で電話がかかってきたよ?

病床で迎えてくれた父は少し落ち着いていましたので、
私の顔を見た瞬間驚いた表情で 「○○(ママの名前)どうしたん?」
「どうしたん?」 はないでしょう、、、と思いながらも、ホッと一安心。
それでもその時から24時間の付き添いが必要となり、
母と妹と交代で病院で寝泊りしながら付き添っていました。
(とはいっても、私は二重生活の為、母や妹ほど長い月日を付き添うことはできませんでしたが)
祈ることはただ一つ、どうか父の病状が回復に向かいますように・・・。


私は高校を卒業と同時に上京し大学生活を送り、
そのまま就職→結婚とずっと故郷を離れていますので、
これほど長く父と一緒に過ごせるのは、神様がくれた贈り物?!父の願望?!と思ったりしながら、
たくさんたくさん話をしました。
悔いを最小限に留められる様、できる限りのことはやっておきたいと強く思ったものでした。

何度か故郷と自宅を行き来しながら、一日たりとも父のことが頭から離れた日はありませんでした。
心配で心配で、しつこく母や妹にメールをして煙たがられるほどで・・・(汗)


全く悔いが無いといえば嘘になります。
8月3日夜、容態が悪いと連絡があり、4日朝に向かうことにしていた私は、
父の最期に間に合うことができませんでした。
父の最期に 「ありがとう」 を伝えることができませんでした。
もう少し早く向かうことができていれば。。。。。。。
もう少し待っていてくれたら良かったのに...

父はきっと母と二人の時間を選んだのだろうと思います。
近くに居た妹だって間に合っていないのですから、
最期まで二人の娘に平等公平でいたかったのだろうと思うと、何とも父らしいなぁと思うのです。
どこかでもうダメかもしれないと感じた頃から、
母には独りぼっちにさせてしまうことを謝っていたようなので、
最期は母と二人で過ごしたかったのでしょうね。。。


長い間遠く離れていた父ですが、就職を決めた時以外は人生の節目や大きな迷いを抱えた時など、
必ず父に相談をしていました。
その都度、安心をくれて助けてくれた父。
その安心が勇気と化し、自分の決断は間違っていないのだと自信に繋がり、
ここまで進んでこられた私なのです。
これからようやくのんびり釣りを楽しんだり、母や友と一緒にのんびり旅をしたり、
余生をのんびりと過ごして欲しいと思っていました。
今度は私たちが助けていくハズだったのに。。。


病院で父に付き添いながら、カーテン越しに差し込んでくる朝の光と父の呼吸を感じ、
今日も一日が始まったとホッとし、一日一日の重みと大切さと有難さを感じていました。
いつか必ず私たちも命の終わりを迎えますが、その時をどのように迎えるのか、
その時までどのように生きるのか、父の命と向き合い考える機会を与えてくれたのだと思います。
父が病気になってから、健康の有難さ・普通に食べられることの喜びを改めて感じ、
いつかまた以前のように美味しく食事できる日を祈っていましたが、
残念なことにその願いが叶うことはなく、旅立ってしまいました。
一番無念だったのは、父本人だと思いますが。


一番辛かったことは、奇跡でも起こせない限り、父の望む時間など過ごすことはできない、
立って歩くこともままならない、人を認識することすら難しくなっている状態で・・・
ふと意識がしっかりすると 「行かんといけん!靴を出してくれ」 と。
一度や二度ではありません...私が付き添っている間に何度も何度も。
何処へ行くのかと尋ねたら 「大学病院での治療日だ、次の治療をしてもらいに行く」 のだと。
既に手の施しようのない状態にある父から、まだ望みを捨てていない、諦めたくない、まだ生きるのだと云う強い意志を感じ、辛く切ない時を過ごしました。
身体を動かせる力が残っていても、ただただ横になっていることを強いられてしまう父、
家に帰りたいのに帰れない、何の楽しみもなく動くことさえ許されず、
どのような思いで過ごしていたのでしょう。。。
私は一度も聞いたことがないのですが 「自分は死ぬのか?」 と
死への恐怖を母や妹には漏らしていたようです。
「死ぬのが恐い」 ........私も同じです。


自分でもファザコン?!と思うくらい、幼い頃から父っ子だった私には、
語りきれないほど多くの思い出や父への強い想いがあります。
父に対する想いはいくらでもあったのに、いざ目の前で安らかに眠っている父に最期のお別れは、、、
「ありがとう」 しか出てきませんでした。
離れていたので、余計な心配ばかりかけてしまったのに、いつもどんな時も守ってくれて、
本当にありがとう。。。
直視するのが哀し過ぎて背を向けるママの肩をそっと抱いて、
父に向かわせてくれたパパ・・・ありがとう。


何も話せなくてもいい、そこに居てくれるだけで良かった。
きっと母も同じ想いだったと思うのです。
でも、父にとっては残酷な話ですよね?
楽しいことなど何もない、長い間頑張り苦しんでいたのに...
でも本当に、ただ居てくれるだけで良かった。


ゴールデンウィークに帰省した時のこと、父の希望で山陰へ出かけましたが、
車内ではいつもうとうと居眠りをする父が、珍しく道中居眠りをすることなく、
眩しいほどの新緑を目に焼き付けるかのように車窓から見入っていた姿が、
今となってはとても印象的です。
カメラを向ける私に 「これがお父さんの最後の姿かも?」 と呟いたのも忘れられません。

二日だけ外泊許可をもらった父は病院へ戻っていたので、
私たちがUターンする時に病院へ顔を出しました。
父は点滴を下げながら駐車場までおりて来てくれて、
ムサシくんに満面の笑みで 「また元気で会おうな」 といっぱいナデナデしてくれました。
ムサシくんもそれに応えるように、お尻プリプリしながら大喜び♪
事実上、この瞬間がムサシくんが大好きなグランパに会うのは最後だったのです。
(次に会った時は、葬儀後だったもので)

「また元気で会おうな」 と言ったのに~また所沢へ遊びに来ると言ったのに~
パパと釣りに行く約束もしてあったのに~お父さんのウソつき!!と
心の中で叫びながらも、息をするのも苦しそうな父の姿を見ていると。。。
反応のない父でしたが、煎餅のように薄くなってしまった父の胸に寄り添い
「お父さんが辛かったらもう頑張らなくていいよ~よく頑張ったもんね・・・今まで本当にありがとう・・・」
と囁きました。
それから10日後、静かに息を引き取った父...果たしてこれで良かったの???


実家から葬儀場に向かう際、父を乗せた車に同乗した私ですが、
運転手の方が 「故人に見せたい物、立ち寄りたい所があったら仰ってくださいね」 と
言ってくださったのです。
迷わず、父の船を停泊してある港に寄ってもらったら、父の船を撮影してくださったり、
うちの果樹園に寄ってもらったら、少し実がなっていたブルーベリーとみかんをもぎ取ってくださり、
「持たせて差し上げますか?」 と。。。
そこまでしてくださるのですね~母も大感激でした。
船の写真も、育てていたフルーツも、たくさんのタイガースグッズも持って旅立ちましたよ。



実家の門の開く音がすると、母は今でも 「あっ、お父さんが帰ってきた。ごはんを作らなくっちゃ!」 と
思うそうです。
永年連れ添った母は、心細いだろうなぁ...毎日寂しいだろうなぁ。。。
永年のうちに、夫婦で支え合いながら一つになっているような...
夫と妻の役割が自然とできていますものね。
頼りにしているパートナーを亡くした母が、
心のバランスを崩してしまうのではないかと心配になります。
人を亡くすことの大きさ、人が生きていることの意味の大きさを感じます。

葬儀を終えた数日後、改めて病院へ御礼に伺ったのですが、
病院へ行くと父が居るような気がして...居てくれたらいいのに...と思ったものです。
長い間お世話になった病院のドクターや看護師さん方、
特に看護師さんには父の話相手になってくださったり
(大勢の看護師さんにお世話になっていたのですが、
父は私やムサシくんのこともお喋りしていたようで、会う看護師さん会う看護師さんに
「東京に居る娘さんですか?」 と声を掛けていただきました。
田舎の人は埼玉人も東京人(?)なのです 笑)
毎日全身をキレイにしてくださったり、口腔や下の世話や...
丁寧に親切に優しく、笑顔を絶やさず面白可笑しく...
本当に頭の下がる思いで感謝の気持ちでいっぱいです。
父も 「仕事とはいえ、本当に大変な事じゃ~いつもありがとうございます」 と労を労い、
感謝の気持ちを伝えていました。


父が普段乗っていた車を見ると、あっお父さん?!とつい運転手さんの姿を確認したり、
背格好年格好の類似している人を見かけると、お父さん?!と思って見てしまったり。。。
今でも 「ただいま~」 と帰ってきそうな気がしてなりません。
受け入れなければならない現実ですが、
どうしても自分の父がこの世から居なくなってしまったことが認められなくて、、、
子どもっぽい(?)な~と思いながらも、本当に信じられないし、未だ全く実感がわかない。
船の上から 「○○~(私の名前)タコ(ふぐ)食べるか~?」 と
ご機嫌な声で電話がかかってきそうな気がしてなりません。
父の死を受け入れるまで暫く時間がかかりそうですが、
父の想いと教えを胸に、
父が最後まで見せてくれた前向きな姿勢と家族に向ける本物の愛情を胸に、
お手本にして生きていこうと思います。
私が生かされていると云うことには意味があり、まだまだ修行中の身、
私に与えられた試練や使命や宿命を全うできるよう、前を向いてしっかり歩いていかなくっちゃね。


親戚が大勢集まる機会でしたが、数十年ぶりに会う人がいたり、
良くも悪くも人の真意が見えたり見えなかったり、
親戚の中にも色々な人が居ることもわかったりしますね。
パパはよく頑張ってくれましたよ~
葬儀が終わって、仕事の都合で直ぐに一度所沢に戻りましたが、
お盆休みを利用して、ムサシくんを連れてまた来てくれました。
実家から程近いうちの空き地を、果樹園として父が手入れをしていたのですが
(これまでも帰省すると父を手伝って作業していたパパ)
草ぼうぼうになってしまい、入院中の父も気にしていたし、母も途方に暮れていたので、
パパが3日間かけて綺麗にしてくれました。
だって、父の思いのこもった果樹園の木々まで命絶えてしまったら、
本当に父が居なくなるようで辛いし、父が可哀想。。。
果樹園のフルーツを実らせて父に報告したい!
私も一日手伝ったのですが、猛暑の中、一度熱中症で倒れそうになるほどキツイ作業でした。
パパ、本当にありがとう!!
つい先日、柿が収穫できたので父と一緒にいただいたと母から連絡がありました。
ブルーベリーも甘酸っぱくて美味しかったです。
父も喜んでいると思う、そしてパパと一緒に人生を歩んでいくと決めた私に安心して、
優しい笑顔で微笑んでくれていると思います。


久々にこのフラッシュを観たくなりました。
以前とはまた少し違った想いが加わって観ています。


お父さん、ちょっぴり先に逝くだけじゃもんな~
いつか必ず私たちも逝くもんな~
また会える日まで待っといてな~
これからもずっとお父さんの子どもでいさせてよ~
生まれ変わっても、絶対にまたお父さんの子どもに生まれるからな~
今頃は、お爺ちゃんやおばあちゃんや兄弟や仲良しの友達に再会している頃かなぁ。
ごん太やさすけ、エルやゼットにも会えた?
グルメなお父さん、食べたくても食べられなかったモノをお腹いっぱい食べてな~
もうお酒も煙草もOKよ~
愉快で極楽な日々かもしれないけど、時々は会いに来てな~
気をつけて行ってらっしゃ~い!


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うん...あいたいねぇ。


時々不安になることも...
本当にあの世、空の世界ってあるのかしら???
もしかして残された者の慰めに過ぎないの???
本当にあって欲しいなぁ。。。
ふと、そんなことを思いながら、父を偲ぶ想いでいっぱいの今日この頃です。
現時点では、具体的に何もわかっていない私ですが、
人には本当に色々な人生があり、それぞれなんだな~ということだけは
改めてわかったような気がします。
昨日まで元気だった人が突然亡くなったり、不慮の事故で命を落としてしまったり、
生まれつきにして死と背中合わせの命があったり。。。
そして命の儚さも思い知らされましたよ~
身のまわりのことは自分でできていた人が、3ヶ月後には帰らぬ人になってしまうんですものね...


こちらへ戻って来てから、部屋のあちらこちらのフォトフレームの中身を父との写真に入れ替えました。
毎晩、父のグラスにビールを注ぎ晩酌も共にしています。
だって、私たちが帰省した時に酌み交わすのを、それはそれは楽しみにしていましたからね~


苦しむことなく息を引き取ったと連絡があった真夜中、少し横になろうとした時のことです。
私たちの寝室に爆風が吹き込んで来たのです。
私は泣き疲れてウトウトしていたのですが、
パパ曰く 「きっとお父さんだ!お父さんがママのことをよろしく頼むなと挨拶に来たに違いない」 と。
そうかもね~最期まで私たちのことを心配してくれていた父ですから。
幾つになっても娘は娘、病床で考えることといったら、娘のことが多いと父が話していました。
今頃は、こよなく愛した瀬戸内の海の上を、千の風になって吹き渡っていることでしょう。


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四十九日後、パパが父を海上へ連れて行ってくれました。
父にとって一番の供養ですから・・・その様子はまたいつか。
(向こうの方に瀬戸大橋が小さく見えているのがわかりますか?
橋の袂辺りまで、父とパパはよく釣りに行きました。
皆様には、帰省する度に恒例となっていた釣果クイズにも参加して頂きましたよね?)


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親御様がご健在の皆様、私が言うまでもないかと思いますが、
どうぞたくさん親孝行をして大事になさってくださいね。
親孝行をしたくてもできないことが、これほど哀しいなんて。。。
皆様にはご心配いただいたり、お見舞い頂いたり、お悔やみを頂きまして、
本当にありがとうございました。
父も喜んでいることと思います。
改めまして御礼申し上げます。
また、楽しい記事を極力控えてくださったお友達様には本当に心苦しく、
そのお気持ちだけで充分過ぎるほどでしたのに...申し訳ありませんでした。


それにしても、夜に爪を切ったら親の死目に会えないとか、
霊柩車を見たら親指を隠さないと親の死目に会えないとか・・・?(言いません?)
迷信を信じて実行していた私ですが、父の最期には会えませんでしたよ。
最近、幽体離脱をするような不思議な体験をしました。
心と身体のバランスが良くないのかもしれません。
ブログもゆっくり再開し、皆さんのところへもゆっくりご訪問させていただきますので、
またよろしくお願いいたします。

最後までお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。

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